小笠原 母島のパッションでコンフィチュール(ママンチュール)
小笠原母島への道 プロローグ
私は田舎が好きであったとは思いますが、
今から思えば生れたところ、育ったところ、私を育ててくれた両親など、
なんか下町のような環境で育っていたのではないかと思うことがあります。
そんな私が、バイクに乗って旅をすると所はといえば
海に囲まれた小さな島
(二つ島が並んでいたら、必ず一番本州より離れている端の辺鄙な島のほうにいき、
つい滞在することになるのです)
そんな私は京都市内で生まれ育ったこともあり、
夕日が水平線にちゃんと沈むところが見え、
朝日がちゃんと水平線から昇ってくるところを見たいがために
島を好んで旅しているのでは・・と思っていました。
そして、観光地などはほとんど興味がなく、
その土地で生きている人達との出会いや
旅人たちの出会いをとても楽しく 有意義な時間を過ごせたように
今、思っています。
今の私にとって、
その頃に出会った方たちと、
つながりがあることは、とっても大切な人生の宝物であります。
雨が続くと・・家にいることが多く、
昔の写真などを見つけたりする時間が
ポコンと生れますね。
だからか、こんな昔の話を書きたくなるのでしょうか?
その中で、とっても縁があり事件があった島は
小笠原の母島でした。
誰一人知り合いがいないこの島に、
「アルバイトがあるよ!」の一言で
小笠原の母島にバイクと一緒に船に乗って
やってきました。
バイトを紹介してくださった方は、
北海道の天売島で知り合った
ボランティア活動で島の猫の避妊や去勢手術をしている
猫山さん(と勝手に呼んでいた)に紹介していただき、
「つき」という居酒屋さんでアルバイトをすることになったのです。
そんなときにいろんな事件があり、出会いがあり、
とってもスリルありの笑いありの話がたくさんあったのです。
事件や出会いも、いつかブログに書きたいなと思います。
そこで主人とも出会い、ほとんど主人のことを知らないうちに
出会って、勢いと島の精霊の力?
で半年で籍を入れることになったのです。
(清水の舞台からエイ!と飛び降りる感じです)
そして、月日が圧倒的な速さで流れ、
出会いと別れが繰り返す日々が続き、
母島の精霊は
娘の心をとらえてしまったのか、
17歳でバイクに乗って、一人
小笠原に移住してしまったのです。
私が思うに娘マナランポは、江戸時代にいたであろう(なんで江戸時代なん?)
気丈で心優しい働き者の娘のような感じがします。
小笠原母島パッションコンフィチュール(ママンチュール)への道のり
ということで、今年も娘のまなランポは(まない)は、
私に母島の特産のパッションを送ってきてくれました。
少し追熟させて、そろそろ今が食べ時!
今から美味しいパッションコンフィチュール(ママンチュール)
を南国の香りを家中に漂わせて、作りたいと思います。
うまくできたら、このホームページで販売させてもらいますね。